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照井康文 Yasufumi Terui / Japan
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2012年09月29日
第38回東京展

 今回、数年のブランクを得て昨年に続き美術団体「東京展」に写真作品を出品した(上野・東京都美術館)。結果、会員への推薦をいただき、喜ばしく受けさせて頂くこととした。30年以上も前の写真学生の頃には現代美術家協会(現展)に出品し、会友となったけれども、若かった身としては金も無く、自然と退会してしまった。

 何故、私は東京展を選んだのか。実は単純で、作品サイズの問題なのである。東京展では出品作品にサイズの規制が無い(当然、常識的な物理的サイズはある)のだが、他のほとんどの美術団体では最小サイズに規制があり、つまり、大きな作品しか出品できないのである。大きな空間の美術館に、多くの作品が集まるとなれば確かに致し方ないのかもしれないが、私にとって、現代美術に最小サイズの制限があるとは到底、理解しがたいといったところであった。美術にとってサイズは大きな要素であると思うが、小さい物は美術作品ではないとでも言うのだろうか。
 とくに私の場合、作品製作に関しては外注することなく、自家処理を前提としている。つまり、自分の等身大に見合い、主張に見合った作品サイズとなるのであり、それは大きくも、小さくもなる可能性があるということであると考えている。

 神田の真木・田村画廊の時代にはサイズとは作品に寄り添い、自然で、それ自体であったのが、現代では身に関係もなくサイズ自体が主張をしているように思えてくる。


2012年06月29日
素材を集めるカメラ

 写真を撮るという行為から物を作るという意識への変化。その事が今の私に自然と、ようやくやってきた感じがする。物(作品)を作るための素材を集めていくカメラとレンズはそのための大切な道具となり、今の私にとってそれはそういった意味で無くてはならない物である。筆が無くとも手や他の物で絵の具を塗ることができるだろうし、絵の具が無ければ他の物で代用することも可能と思われる。しかし今のスタイルで作品を作る私にとってカメラとレンズそしてパソコンとプリンターは必要不可欠な道具となっている。

 太陽の光を感じること自体は自分一人で出来る事であり、それ以上の事ではないと思う。しかしそれが、別の形を介して作品という物となった時に、それが自分から脱することが可能となっていくのだろうと思う。


20012年05月09日
アルバム写真

 20年程前までは身の回りの写真をよく撮影していた。写真学生時代にはあらゆるものを撮影し、その流れで日常の中には常にカメラがあり、妻や娘、そして身の回りの風景をよく撮影していた。しかし最近、家族写真や日常的風景などの写真を全く撮影していない。今は妻も私も、そして娘も私に写真を撮られることが嫌いなのだ。私自身が写った写真はほとんど存在せず、私以前の照井家にはアルバムが残っていないのである。その事が特別なことなのか、北海道では普通のことなのか、以外にも多くの家庭に当てはまることなのかは分からないが、子供の頃にはアルバムを見せられた記憶はある。

 自分が子供の頃に遊んでいた「おもちゃ」が今も残っていたらどんなに素敵なことだろうと時々思うことがある。精密に作られたミニカー、レール上を疾走するスロットーカー、金属製のモデルガン、タミヤの水中モーター、今では見かけなくなった物が多く、それを知ってか娘は自分の小さい頃のおもちゃを捨てられずにいる。アルバム写真も同じように時とともに捨てられていったのだと思う。

 今の自分にとってカメラは作品を作るための道具である、という意味合いが大きく占められているようである。本来の写真を写すということを復活させなくてはと最近思うようになってきた。


2012年04月20日
時代性

 写真は事実を写し出すため、時代に寄り添った写真作品が必然的に多くなると思われる。それは他の芸術に比べ突出しているのではなかろうかと思う。自然写真など時代性の小さいと思われる写真でもその時代時代に応じてその価値は変化し、決定的であることはそれを見る第三者自身が時代を生き、被写体自身もその時代にある、ということである。

 写真のデジタル化普及に伴い、「デジタル処理」の意味するところも変化してきているのではなかろうか。そして、アナログ写真の再考という事象も出てくると思う。誰しもその時代を生きているのだけれど、東京で時代を感じている人と、田舎でのんびり生きている人とではその感覚にかなりの差異が生じてくると思う。アメリカや中国の雄大な自然は日本のそれに比べて圧倒的であるが、それでも日本人が誰しももつ懐かしい風景というものがあると思う。

 写真は実在する被写体を写すのであるが、それをどう表現するかは作者に委ねられ、そして自由であるべきだと思う。


2012年04月08日
喫茶ウイーン

 私が写真を始めたのは高専生の頃で1970年代。毎日のように学校の帰りに苫小牧駅前の喫茶「ウイーン」へ通い、近くのビルに入ったレコード店と小さな写真屋さんに顔を出していた。当時はインターネットなど無い時代であったから大体の事は苫小牧という街の中で完結していた。写真用品を買うのもジーンズを買うのも本やレコード、オーディオ機器を買うのも苫小牧で買っていた。苫小牧駅前は多くの人で賑わい、様々な店が軒を並べていた。

 現在、多くの物がインターネットで購入され、我家でも苫小牧という都市の中で購入するとしたら食料品ぐらいではなかろうか。様々な情報もインターネットで無料で手に入るし、以前のように本を買って情報を得る必要性も少なくなり、それに比例して美術手帳などの専門雑誌が驚くほど高い値段となってきてしまっている。私自身学生の頃は美術手帳や写真雑誌など毎月のように購入していたが、現在はここ数年、それらを購入していない。

 4月に入ってもここ数日、雪の降る日が続いており、北海道の冬の長さには辟易させられる。春を待ち望んでじっと家の中で身を小さくしているのが北海道人に似つかわしく思われ、行動範囲や活動量も少ないというのが私が所沢に住んでいた頃の経験から言えると思う。その反面、都会人に比べ土着性が強いと思うし、私自身が写真制作を通して現実的に実感してきているところである。


2012年02月27日
表現される物

 写真はその時点での時間(空間)を記録する。写実的な絵画は、記憶、記録(ときには創造)を総体的な流れの中での空間(時間)で表現される。写真はとくに加工を加えない限りその場の全てが写し込まれていく。絵画ではその概念が崩壊し、「表現される物」は制作者に委ねられることとなろう。写真には被写界深度がある。絵画での描き方は人の目の見方に近く、見る物を見、描くものを描いており、結果、全てに目線が注がれる(ピントが合う)ことになる。

 そのように見ていくと写真ではその撮影された場での情報が豊富で正確ではあるが、それ以外の記憶とか創造などの直視できない物は、その作品を見る第三者に委ねられることとなろう。しかし絵画では、描くという段階にすでにそれが存在しているのだと思う。作る者、見る者、互いがそれぞれ直視できない何かを見ることを可能にしているのだと思う。


2012年02月18日
進化への方向性

 隣家に住む父は80歳を過ぎ、母は70歳を過ぎている。毎朝様子を見に行くのだが、テレビの大音量に驚かされる。老いて耳が遠くなり、寒さの厳しい冬の北海道では外へ出ることもなく、ほとんどの時間をテレビを見て過ごしているようだ。母は目も悪く、最近では新聞を読むことが困難になってきている。そんな老夫婦がお互いを助け合って生活している。

 これから先、単に自分が老いていくということだけではなく、どのような自然災害が待ち受けているのか、この国はどう変わっていくのか、今までになく現実味を帯びて考えさせられる時がやってきたと誰もが感じているのではなかろうか。写真は極めて優れた記録性を持っている。絵や文字も記録や伝達手段としての役割を大きく備えていたが、写真の発達とともに絵は大きくその方向性に舵を取った。絵画は無限とも思われる進化の可能性を取得したのではなかろうか。
 写真は技術的にどんどん進化をとげているが、絵画のような多岐にわたる進化への方向性は取得していないと思う。いつ、町が滅ぶか、国が滅ぶか、命が消えるか、分からない今、様々な表現スタイルの写真が生まれても良いのではないかと思う。


2012年02月10日
「ただ、撮る」

 もしそれが職業写真でないならば今一度、綺麗なとか、美しくとか、可愛くとか、の写真を止めてみてはいかがでしょうか。自分が求めていたものが分からないとしても、これからの方向性が見えないとしても、「ただ、撮る」ことを再び始めてみてはいかがですか。何のために、誰のために、ではなく、時に無目的であっても良いのではないかと思います。

 今まで多くの写真を撮ってきたのだから、それらの経験といった様なものはすでにそこにあるのです。それらはおのずと立ち現れるでしょうから、あえて今までの自分を意識することは時に、弊害となってしまうと思うのです。


2011年12月30日
第一滝本館の写真

 北海道登別温泉の第一滝本館は1898年に銭湯を始め、登別で最も由緒ある大型旅館である。今年も年末の休みを利用して家族で泊まってきた。35の浴槽を持つ大浴場と美味しい食事、そして歴史を感じさせる宿の姿がこの第一滝本館を有名にしているのだが、実はほとんどの人が気付いていないと思うが何気なく飾ってある絵画や写真が素晴らしく、鑑賞に値し、そして数も多いのだ。大浴場へと向かう通路には旅館の古い時代の写真が数点展示されている。大判カメラで撮影されたであろうそのプリントは隅々までシャープで歴史と空気感、生々しさを漂わせ、アナログ銀塩写真の本領を見せていた。

 そのような写真に出会うと「写真」という言葉の重みを感じてしまう。今の私の写真作品はそのような方向性とは大きく違っていると思うし、離れて行ってしまうのかもしれない。それでも「写真を撮り続け」、写真のことを考え続けていくだろうと思うし、自分では「写真をやっている」と思っている。

※上写真は第一滝本館に展示されていた写真


2011年12月26日
写真なる物

 川田喜久治は写真なる物を撮影しているのだと思う。「地図」に見られる原爆ドームのしみはカメラという道具を用いずに写し込まれた、光と熱により刻み込まれた写真であり、川田喜久治はその刻み込まれた写真なる物を撮影したのだ。そのように見てみると川田喜久治の写真作品全てがそのように見えてくる。太陽という現実なる物、日光の流れ落ちる滝、街という現実の姿、それらは川田喜久治に撮影される以前に存在し、それは川田喜久治という人間個人の存在と無関係ではなく、川田喜久治にとっては真の写真であった。彼はそれら真なる物を撮影し、彼にとっての写真作品を生み出しているのだ。それは全ての写真家に当てはまるわけではなく、川田喜久治の写真に傑出された世界なのだと思う。

※上写真と川田喜久治は関係ありません。