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照井康文 Yasufumi Terui / Japan
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2011年12月22日
熱い思い

 北海道へ移住して早、9年ほど経ち、身近に写真について語る友も無く時間を過ごしてきた。最近はfacebookやblogなどを介して語る機会が無いではないが、やはりお互いの言葉で直接語り合うことの意義には及ばないだろう。最近写大時代の後輩から電話が入った。彼は自分の写真に対する思いや考えを熱く語り、私も久しぶりに熱くなった。東京にいた頃には写真の友に限らず自分達の思いを語り合う友人がいたし事実語り合っていた。

 今はのんびりと、焦ることなく、好きに熱く写真作品を制作することが出来ている。環境のせいなのかどうかは分からないが、東京にいた頃には味わえなかった充実感がある。東京にいた頃には個展等作品発表の目的が優先され、それを目指して作品を作っていたのが現実であった。今は計画も無く好きなように自分の望むまま作品を作っている。その結果、自分が本来望んでいた、目指していたところへと向かっているように思う。


2011年11月30日
絵画的要素

 中学生の頃の私は絵を描くのが好きでよく油絵も描いていた。高専に入学した時に父からカメラをプレゼントされたのがきっかけで写真の世界にのめり込んでいくことになるのだが、結局のところ今でも絵画的要素とか考えだとかが自分の作品の世界に強く反映されているようである。写真は本当に多く撮影したけれども、数十年も前に自分が描いた絵の方がそれらより、自分から見て魅力的に感じていた。今年に入って自分の写真作品は大きく変化したと思っているが、それは自分がイメージする絵画に近づいたような気がする。

 アナログプリントの銀塩写真に固執し、写真という事、光、痕跡、行為にこだわっていた頃の自分であれば多分、今の私の作品を見て見ぬふりすることだろう。デジタル写真は自分を大きく変えた。「デジタル写真も写真である。」という前提が成り立てば、今の絵だか写真だか何だか解らないような自分の作品も写真と言えるのではなかろうかと思っているし、場合によってはあえて写真と言わなくても良いのかもしれないと感じている。

※上写真は秋のオオイタドリ(植物)を撮影した写真


20011年10月28日
苫小牧高専祭・写真同好会

 苫小牧高専祭での写真同好会の写真作品展示を見た。私が在学していた35年程以前には写真同好会なるものが存在していなかったので羨ましく思いながら見させてもらった。撮影題材が風景だとか動植物だとか何だとかいった限定的なものではなく、それが自分自身へと向かっているように感じられた。それを個人個人意識しているか、は不明であるが、私の好きな写真作品達であった。
 多分彼らは好きなものを好きなように撮影しているだけなのかもしれない。彼ら高専生が写真というものをどう考えているのか、どの程度に考えているのか、聞いてみたい気もするが、彼らには大切な今という時があり、それを中心に生活しているのである。


2011年10月27日
苫小牧高専祭・美術同好会

 苫小牧高専祭で美術同好会の展示を見た。笑えるくらい素直で自由で、好きで作ったと感じさせる作品達が迎えてくれた。
 勉学が中心の高専にとって同好会活動は好きに、自由にやっているのであろうが、それはそれなりに良いのではないかと思う。他の一般高校に比べると真剣さが全く無いが、その代わりに好きで、好きにやっているという原点がそのまま残っているように思われた。
 そしてほとんどの学生達は、自分に自信を持って学生生活を送っているように見えた。5年間を通して嫌でも多くの事を学び、経験していくのであるから焦らずにある程度、好きにやっていけば好いのではないかと思った。


2011年10月26日
苫小牧高専祭

 10月22・23日に第47回苫小牧高専祭(国立苫小牧工業高等専門学校)が実施された。両日とも雨天にもかかわらず大盛況となった。私が同校を卒業してから30年以上たち、今は自分の娘が1年生で通っている。昔とは大違いで学生は皆、真面目で学年差による上下関係も良好でのびのびと学生生活を過ごしているようであった。高専祭の実施において、教職員はほとんど関わらず、学生が主体となって行われている。学科展示は内容も充実し、担当する学生も積極的に見えた。部や同好会も多く存在し、アメフト同好会が今でも健在なのには驚いた。

 勉強の大変さは以前と変わらず、進級できない学生が少なからず存在し、卒業できるのは7〜8割程度であろうと思われる。
 多感な青春時代の5年間を勉強に苦しみながら同士と共に過ごすのは有意義であり、生涯にわたって貴重な時間となるのだろう。


2011年10月12日
2011杜の秋アート展

 千葉県成田市のギャラリー海で10月23日〜11月3日にかけて写真家を中心としたグループ小品展「2011杜の秋アート展」が開催されます。参加メンバーは写真家がエドワード・レビンソン、フランク・ディテューリ、石川剛、伊藤雅章、工藤俊文、坂田恵美子、金城真喜子、工藤裕之、藤樫正、照井康文の10名と絵画の一条和子、立体の伊藤琴恵、酒井清一、ジュエリーの藤樫小百合となります。
 連続の関連展覧会として11月6日〜17日には仙台市若葉区児童館「子供達のお絵描き展示会」併設展示「東北巨大地震・津波被災地写真展」「被災地支援作家作品展示」は開催されます。

 ギャラリー海は成田市公津の杜にあり、ガレージスペースを利用した小さな空間のギャラリーですが、意欲的で様々な種類の作品展が催されており、地域のアート活動の拠点としても注目されています。機会がありましたら是非、お立ち寄り下さい。


2011年09月13日
飛生芸術祭2011

 2011年9月11日から18日にかけて北海道白老郡竹浦の飛生(とびう)にある飛生アートコミュニティーで飛生芸術祭が開催された。1986年に閉校となった飛生小学校とその裏の雑木林を舞台に若手作家が中心となって様々な試みを行っていた。飛生はとんでもない田舎でそのような所に小学校があったこと自体不思議な気がした。周囲には教職員住宅が2棟しかなく小学校の小ささをうかがわせている。

 北海道出身の若手作家を中心に作家13名による出品で立体が中心となっており、雑木林は整備が行き届き天気が良ければ楽しい散策が出来そうである。北海道ではこの期間、天候が悪く空が恨めしく感じた。前宣伝の充実と公募形式を取り入れるとおもしろいのではないか、作品数と展示スペースの拡充があると更に面白くなるのではないかと思った。

 独りよがりの芸術は否定しないが、作家と見る者の芸術、そして環境のための芸術をこの芸術祭には感じた。素晴らしい環境と人材がそろったこの企画、さらなる進展が見えそうで次回の芸術祭が楽しみである。


2011年08月20日
不自由な写真

 盆休みを利用して今年も岩内へ行ってきた。岩内町周辺には美術館が点在し、中でも岩内町の木田金次郎美術館と共和町の西村計雄記念美術館は優れている。今回は木田金次郎美術館と同じ岩内町にある荒井記念美術館を訪れた。近くに泊原発を望むことが出来、そのことが田舎町に本格的な美術館があることと関係があるのかと思ってしまう。両美術館とも訪れる人がまれで静かに作品鑑賞を楽しむことが出来、とても有意義な時間を過ごすことができた。
 荒井記念美術館はピカソ美術館と西村計雄美術館とから構成されておりピカソの版画267点が収蔵されている。その中で気になるパネル展示に出会った。

 「写真はちょうどよいときにやってきて、絵画をあらゆる文学や逸話や主題から解放したのだ・・・いずれにしても、主題というもののある局面は、それからは写真の領域に移った・・・画家たちはようやく手に入れた自分たちの自由を、他のものをつくるために当然利用していいのだよ」(「語るピカソ」ブラッサイ著)

 写真は絵画に比べ極めて不自由だと思う。写真は未だに「写真」という鎧を武器にしているように思われる。写真で自由な表現を試みたい。

※上写真は西村計雄の作品の一部分


2011年07月30日
マチェール

 マチェールという言葉は一般的に絵画や彫刻に使われることが多く、質感(美術的効果や実質的材質感なども含む)と言ったところだと思われるが、白黒のアナログ写真プリントにもそれを見て取れると私は最近感じる。
ここ数年、暗室作業から遠ざかり、ほぼ完全にデジタルへと移行してしまった私であるが、時折、以前にプリントした銀塩写真を引っ張り出しては見ている。ドラム乾燥されたフェロタイプの光沢の質感は特に、際立っている。極めて均一的な平面をもつ銀塩プリントではあるが、そこにそれゆえの銀塩粒子の恐ろしいほどに繊細な質感を私は感じるのです。一方、デジタル出力されたプリントは、プリント素材に関係なく(現在私は主に布製キャンバスにプリントしている)、そういった質感というものを感じることが出来ないでいます。質感という意味ではペラペラなものという感じなのです。

 素材の持つ材質の(物理的)質感とは別に、作品から受けるイメージによって生み出される質感というものもあるでしょうが、デジタル写真では特に前者の(物理的)質感が乏しいと思うのであり、そのことがある意味、そういった意味での「質感という因子」の壁から解放されるとも言えるのではないかと思うような気がするのです。
 モニターに映し出される映像、出力されたインクジェットプリント、触ることではなく、見ることを前提としたデジタル情報からなるそれらの物達から何が見え、何が見えないのか。見えない物質たち。私はそれらをどう利用し、関わっていこうかと模索しています。


2011年06月18日
少しでも長く残る作品

 日本写真芸術学会の最新の学会誌の冒頭、ほとんどあらゆる写真(個人的な写真から報道写真など)は時と共に忘れ去られ無用となりやがて処分されて行く。というような事が書かれていた。読み終えてすぐにその学会誌を捨ててしまったので、著者が誰なのかも今は分からないが、ある意味正当性を持った話だと思った。学会誌には時折、良い内容の文書が掲載されているのだが何分にも立派過ぎる印刷物で号数が増すにしたがってその重さゆえ、保存が困難となってきてしまい、ある時期、全てを処分してしまったのだ。

 絵画や他の美術作品に比べて、写真は確かに平均してその必要とされる寿命が短いのではなかろうかと思ってしまう。なんとか少しでも長く残る作品を作りたいと、最近思うようになった。以前から川田喜久治の写真作品に強く影響され、全ての日本人を変えた東北を襲った大震災から3ヶ月が過ぎ、さらにFacebookを通して多くの海外作家(特にモスクワの作家)の作品を見ることによって、そのことを自然と意識しだしてきたように感じる。今は特に写真にこだわって作品を作っているが、それが「写真的である必要性」を持つ必要もなく、さらに放棄してしまいたいと思っている。