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照井康文のblog

2013年02月16日
カモメに飛ぶことを教えた猫

 2月11日、苫小牧市民文化会館で苫小牧東・西・南・総合経済・高専の5校による高文連苫小牧支部演劇合同公演「カモメに飛ぶことを教えた猫」が公演された。私自身、高専時代に演劇同好会の部長をしていたので懐かしく思い観てきた。

 高専2年情報の男子が主人公を務めていたが、見始めの当初は全体的に語っていることが聴き取り難く、主人公も頼りなく、つまらなくも感じていた。しかし話が進むにつれて、演劇を見ているということ自体忘れでもしているかのように観る者がのめり込んでいくのがわかった。出演者全員が技術的な面で語るのを無意味と思えるようなパワーを出していたのだ。

 自分に誇りを持って恥じらうことなく、必死に取り組む姿勢。そんな環境と経験はとても素晴らしく、だけど、演じる者も、見る者も、それだけで終わってはほしくないし、大切にしてほしいし、などと自分に言い聞かせた私です。

 ※パンフレット表紙イラスト・総合学園ヒューマンアカデミー札幌校マンガカレッジ2年 井上千明


2013年02月10日
水面の歌

 山崎ハコや岡林信康の音を聴いていると土着性が高くフォークというよりも演歌ではないかとも思ってしまう。

 久しぶりに尾崎豊を聴いた。湖面か静かな海面か、いずれにしても水面上の美しく輝く音に聞こえた。水面であれば休むといずれ沈んでしまう。泳ぎ続けなければいずれ沈んでしまう。いつまでも美しく、醜く、強く、もろく、陸をめざすことなく。

 我々はいつでも地面に座ることができる。疲れていなくても、特に気にすることも無く、注意を払わずに。山崎ハコの音楽は暗く、時に笑ってしまいそうな曲もあるが、土着性を感じることができ私はそれを安心して聞くことが出来る。

 海の絵はとても難しかった。何度も、幾重にも描き重ねる事となってしまった。絵を描くのではなく、海を描くのではなく、考えてはいけない。見てはいけない。流れてはいけない。


20013年01月06日
描かない

 今年もひどく寒い冬がやってきた。日々氷点下の世界で写真を撮りに外に出る気がとてもしない。今年の冬も絵を描いた。油で、全ての絵の具のキャップをペンチでこじ開ける事からはじめ、朝早くから描きはじめた。「描かない、描かない」と何度も自分に言い聞かせながら描いていく。自分が何十年も見てきた原野のイメージを頭のずっと奥の中にしまいながら、描くのではなく、自然と筆の動くにまかせて絵の具をのせていく。時々、乱れを修正しながらそんな思いで創り上げた。

 自分の写真が大きく変化してから絵も変わった。力が抜けたようである。今はこれからの自分の写真に対する向き合い方を探っている状態で、どのような写真を創り上げていくのか全く不明の状態でもある。


2012年12月25日
川田喜久治「phenomena」

 川田喜久治の近作「phenomena」を見た。phenomenaとは驚異的な事象とでも言った意味と思われる。私自身は川田喜久治の更に進化した作品に驚き、一点一点の主張と存在が眼に焼きついてしまった。川田喜久治のとる手法は重要なことでは無く、被写体が重要と感じる。写真という手段は被写体というものに呪縛され続けているが川田喜久治のそれには人(他人)と個人が写しだされている。全ての事象は人によって認識され意味が生み出されて行く。そしてそれは時代と場所によって変化しても行く。それは当たり前のことでもあるが川田喜久治の写真にはそれが独自性を持ち、突出して見出すことができる。

 川田喜久治は今後も更に進化していくのであろうが、私はそれを追っていくわけにもいかない。その刺激を受けつつ、自分の方向性を見失うことなく進まなくてはいけないと痛感させられる。

 上写真は風の旅人復刊第1号(かぜたび舎)の表紙


2012年12月07日
雑音

 雑音の中に自分の姿を見ることができる。雑音を感じる事ができれば、雑音だからこそ、それに惑わされること無く自分の姿が見えてくる。優れた技術はその技術を超え、単なる音を超える。

 感情の無い音。タンタンタン、トントントン、の寄せ集め。優れた者に演奏された優れたその作品は、そこに聞く者、個々人のそれぞれの感情を素直にゆだねる事ができる。

 一音一音愛を込めて自分らしく、自然に。
 雑音、単純。力を入れない事の難しさ。


2012年11月17日

 近年、異常気象が年々その度合というか加速を増しているように感じられる。私が北海道に戻った8年程前には1週間ほどしかなかった北海道の夏が近年には1ヶ月以上に伸びてしまった。そして秋を通り越して冬の初めとなり雨の日々が続いている。

 ウトナイ湖へ行くと増水した湖面は波も無くつまらない被写体となっていた。仕方なく原生林の中を撮影しながら歩き別の対岸へと出た。
 湖面を眺めてしばらくすると緩やかでやや大きな波が一部の湖面に表れ出、撮影を始めるとその波は広がりを始めやがて湖全体へと広がっていった。風は感じられなかった。

 写真学生のころの私は全ての物を写真に収めることが可能と信じていた。光、温度、感触、音、匂い、そして風。


2012年11月02日
真っ白な印画紙と真っ黒な印画紙

 今のスタイルを極めようとしてはいけない。
 本来の自分は何を求めていたのか、何を追究しようとしていたのか、今一度立ち止まるべきかもしれない。そうしなければ今からさらに先へ進むことが苦しくなってきそうである。

 真っ白な印画紙。真っ黒な印画紙。そんなものを自分は求めていた。そして「写真」というカテゴリーに捕らわれることなく出来るだけ自由な発想と手法を行うことを可能にすべきと考えた。ただし、私の作品が写真であるということだけは、ハッキリさせておきたいと思っていたが、その点については今後どう考えていくか今は分からない。


2012年10月27日
48回苫小牧高専祭・書道同好会

 苫小牧高専・物質工学の2年生が中心となって新しく創設された書道同好会は今回の高専祭で優れて見応えのある展示がなされていた。さらに高専生独自の自由さとおおらかさが見て取れ、生き生きとした感があった。見逃してしまったが書道パフォーマンスも行われていたようで、力の入れようが他とは違っていた。次回以降はどのように継続していけるか、もしくはさらにどう変化していくかが楽しみだ。

 物質は他の学科に比べ女学生が多く、しかも一般の高校や大学とは違った独特の間というか、空間というか、そんな個性を持った女学生が多く、さらりとした空間を感じることが出来た。高学年になるにつれ進級が厳しくなり、苦労も多くなっていくと思うが、出来るだけ多くの学生が無事、卒業していけるようにと願うばかりである。


2012年10月26日
48回苫小牧高専祭・美術同好会

 苫小牧高専・美術同好会の展示は昨年に続き自由で楽しく笑えるような内容であった。初日ということもあり、まだ製作中なのか展示の裏側では何やら製作中のパフォーマンスが見てとれた。
 一般的な高校などに比べると実に程度が低く努力の跡すら見えない作品群ではあるが、それが見る者に自由さを感じさせてくれるし、だからこそ実際、自由な作品群であったし、楽しさを感じた。しかし、あともう少し力作を見せてもらいたかったというところが私の本音である。もっと楽しく、もっと笑えるような作品を多く見せてもらいたい。


2012年10月25日
48回苫小牧高専祭・写真同好会

 10月20日・21日の両日に第48回苫小牧高専祭が実施され、昨年に続き見てきた。
 写真同好会は案内パンフレットにも記載されていなくひっそりと展示がされていた。内容としては昨年よりもみすぼらしく思えた。展示点数が少ない。展示という言葉にこだわることなく、写真をばらまいて見せてもいいのだから、とにかく多くの写真を見せることが課題と思えた。少しでも多くの写真を撮り、少しでも多くの写真を見せる。そこからがスタートだと思う。
 本当は面白い写真を彼らも多く撮影しているのだと思うし、やり方次第では面白い展示にすることも可能だと思う。

 しかし、勉強が大変な高専生にとっては同好会活動を持続させる事だけでも立派だと言わざるを得ないとも思う。私は高専祭では真っ先に写真同好会の展示を見ることにしている。来年の写真同好会の展示も楽しみにしている。きっと私以外にもそれを楽しみにしている人がいると思う。