top

new

bio

Insta

blog

contact

照井康文 Yasufumi Terui / Japan
blog

2010年12月11日
表現と再生

 最近はもっぱらデジタルカメラを使用しており、ついにはアナログカメラを持ち出すこともなくなってしまった。家には最近撮影した未現像の白黒フイルム数本と、現像し、コンタクトプリントまではとったがそこから先に進んでいないフイルムが数十本存在している。デジタルカメラの利便性に慣れきった私は「何かを写す写真」ということにはこだわらず、表現手段として必然的に写真を使っている。最近そう思うようになってきた。

 以前のことであるが13ordreさんから「写真は、再生技術が主眼と見られていますし・・・」という文章を頂いた。最近、「再生」という言葉が重要であることに気づいた。以前の私であれば「銀塩写真は光の痕跡そのものであり・・」で話が始まるところであろうし、再生ということは考えもせず、「真実」に重みを置いて考えていた。しかし、デジタルがあたりまえのように普及した現在、私にとって「再生」という言葉は大きなカギとなっていると思う。
 写真というものをもって何かを写し、真実を写し、追究していくということではなく、ただ単に「こうしたい」というものがあり、結果的に写真もしくはカメラというものが私の道具としてすでに有り、表現されていくということであり、そういった行為自体も再生なのである。


2010年11月21日
表現主義

 川田喜久治氏からグラフ誌「風の旅人・41号」を頂いた。川田喜久治氏の最新作を見て、相変わらず精力的な写真を撮られていることに正直、驚いた。精神的にも体力的にも実年齢を感じさせない刺激的な写真である。
 誰にも、その人の作品に多大な影響を及ぼす人がいると思うが、川田喜久治は今も私に影響を与え続ける作家であり、今回、川田喜久治氏から「表現主義的」という言葉をいただいた私は、30年前の自分を素直に見つめ直す必然性を感じることとなった。

 写真学生の頃の私はとにかく写真を撮り続け、その先にコンセプチュアル的な形式を持った写真を撮るようになっていた。その頃の私と今の私では写真に対する考え方も見方も当然、変化している。何も知らずに踏み込んでいった20代の頃の私は精力的であった。それからの30年の自分の作品を見てきた自分は今再び、それらを踏まえたうえで再挑戦をしたいと思っている。無理に悩み、考え、探し、撮ることより、自然に自分の欲求に従うことが良い。そう思わせてくれたのが川田喜久治の今回の写真だ。

※上写真は照井康文の作品。切り裂いた紙をデジタル撮影し、そのデジタル画像を被写体自身である紙にプリントし、それを再度切り裂き・・という行為を繰り返した写真作品。


20010年11月14日
マーキング

 音楽はその場で表現者により表現され、表現過程そのものが作品となり、そして消え行く。もちろんそれを残すためには録音という手段があり、今では当然のごとくそれが行われている。一般的に絵画や彫刻、写真などでは製作過程が省かれて出来上がった作品自体のみが示され、作者自体も現実的にはそこでは不在となる

 それは分かりきった話ではあろうが、私の場合、撮影という行為がマーキングを行っているように思われる時がある。写真を撮る(取る・採る)行為は自分探しのようであり、だからそこに自分を見出し、自分の何かを残すマーキングのようなのである。


2010年11月09日
目で見ない画像

 その時、直接目で見ていない画像(映像)がある。空想や夢、思考時などに見られるそれであるが、自分の脳裏には確かに画像や映像として認識されていたのではなかろうか。そしてそれは、今まで自分が見てきた様々な情報を元にしたものであり、例えば私は龍を見るとき、鱗を持った蛇に、山椒魚のような足が生え、頭はキリンビールの麒麟の姿をしていた。そのような画像は、細部や色、大きさ等が曖昧であったがそれを見ていた時の私は確かにそれを見ていたと思う。

 写真を見た時、自分の今まで生きてきた短い歴史の中から何かが蘇えり、見えてくると思われる写真と出会う時がある。自分が写した写真ではなく、である。そのような写真が優れているとかではないが、少なくとも私はそのような写真にも大きな興味を抱く。そのような写真を写した作者は、自分自身が写した写真を見て同様な感じを受けるのであろうか私には分からない。少なくとも私の場合、私が写した写真から自分自身、そのようは感覚を抱くことはまず無いと言える。


2010年10月21日
心のアート展2010

 恒例の「心のアート展2010」(東胆振精神保健協会主催)が10月16・17日に北海道苫小牧市のイオン・ショッピングセンターで開催された。私が前回見たのは2008年で、その時に比べ絵画作品は和風的な水彩画が中心となり、ややおとなしい感となっていたが、写真作品はかなりのレベルアップが見てとれた。残念なのは展示場所の関係上、会場が暗いのと、展示スペースの狭さから効果的なレイアウトがなされていなかったこと。そして出品作品がやや少なく思われたことである。

 出品された写真作品全てに共通して言えるのは、題材と、なぜそれを写したのかがはっきりと見て取れ、それらをストレートに写し取っていたことである。私個人としてはもっと多くの写真作品と多岐にわたる美術作品を見てみたかった気がしたのであるが、そう思わせるほどの作品群が毎回、集まっているということでもあろうと思う。そして、この「心のアート展」は公募美術展や子供達の作品展、中学や高校の美術クラブ作品展等に比べ、それなりの見応えを感じたのであるが、それは、そこに素直で真面目で、ていねいな仕事ぶりが見えたからなのです。

※作品上から 山本 工「ジリジリ・・・」
 吉田 麻並「野菜とれたよ!」


2010年10月08日
赤城耕一の写真

 社会から必要とされる写真があり、それに応じる形で写真を撮る。一般的にそれらは商業写真(営業写真)と言われるであろうが、営利を目的とせず、自ら第三者(社会)に貢献(喜びや社会的メッセージ等)するために写真を撮る場合もあろう。一方、自分の為(時に葛藤を含む)、もしくは何かを探すために写真を撮るというケースもあると思う。そして前者と後者は一見して相反しているように見える。
 私が所沢から北海道に移り住んで早6年、美術や写真とは、ほぼ無縁という環境下に慣れ親しんだ自分は、「誰かとか社会的なとか」といった事は全く考えもせず、ただひたすら、写真というものと自分というものを考えながら写真を撮っている。

 なぜ今、その様な事を考えたかというと、赤城耕一の活躍をネットで見ていたら自然と感じ出したのだ。赤城耕一と私は大学(東京工芸短大・旧写大)の同期で親友であり、赤城耕一は大学時代から実にいい写真を撮っていた。今の彼は多分、カメラ解説者として有名なのであろうが、今でも人情的で社会性のある素敵な写真を撮るのであろうと思われ、赤城耕一は写真家なのである。だから彼は、積極的に自分の個人的な写真を公開すべきなのだと思う。私自身も赤城耕一の撮影した写真を見てみたいと思うし、多分、多くの人達も同様に感じていることだろうと思われる。

 私的、社会性のある、商業、芸術、前衛、など、美術や写真はそれら多くに分類されるかもしれないが、写真は写真であり、絵画は絵画であり、その事による優劣は無いと思う。どのような写真や美術であれ、誰かに(多くの人達に、である必要は無い)何かを感じさせる場合がある。それはそれで大切な事だと思うし、だからと言ってそれが目的である必要もないと思う。

※上写真は1992年・モスクワにて・赤城耕一撮影


2010年09月21日
幼稚的な写真

 普通、人は幼少期から絵を描くことをしてきている。年齢を重ねるうちに周囲の環境に影響を受けたり、学ぶことにより、残念ながら一般的には幼稚な絵から脱却していくようになる。先日、中学校の学校祭で、中学3年の娘の所属する美術部の絵を見てきた。ほぼ全てに近い作品がアニメの影響を受けており、まるでアニメ部という感じであったがその中にあって娘の絵だけは、まともな幼稚さと個人のテーマを持ち合わせていた。技術的に優れ、それを競い合うかのようなアニメ風絵画の中にあって、一見小学生が描いたとも思える様な娘の絵画は異端であった。そして確かに娘は一人っ子ということもあって、学校の中で異端的な存在となっているようなのだ。

 デジタル写真の圧倒的な普及とカメラ技術の向上により、撮ろうと思えば誰でも簡単に写真が撮れ、その画像や映像を気軽に見ることが出来るようになった。一般的にではなく、私が思うに上手な写真と下手な写真との境界が曖昧となり、それを定義すること自体が無意味なのではないかと思ってきている。

 とろで幼稚的な写真というのは存在するのだろうか。技術の優越が幼稚さと連動することはあっても、それイコールではない事は明らかだと思う。絵画に比べ、写真ではその作品を作りあげるに要する技術の個人差がとても小さいのではないかと考えられる。そして何より、写真はある程度年齢がいってから写し始めるという事実がある。それでも、幼稚さというものが人の心と共にあるのであれば、きっと幼稚的な写真というものも存在すると思うし、要は、それをどう受け止め考えるか、あるいは無意味と考えるかであろうと思う。


2010年09月03日
写真を写すとはどの様な事だったのか

                    

 古くからの友人に武田誠司という写真家がいる。彼の写真は私のそれとは対照的であるが、何か通じるところが有る様に感じてならず、とても興味を持って彼の写真に見入ってしまう。 武田誠司の写真は人間が「生きるということ」の根源的な部分に触れており、そして優しい。それは、そもそも「写真を写すとはどの様な事なのか」もしくは「どの様な事だったのか」を私に再び問いかけてくるようである。遠い九州にいる彼とは長いこと会っていないが、彼の声と話し方は昔と変わらず、人柄(本能)と努力と、育った環境が彼の写真を成り立たせているのであろうと思う。

 若い頃の私であればそのような写真を軽視したかもしれない。もしくは真似ようと努力したかもしれない。しかしある程度年齢を重ね、苫小牧に戻ってから6年ともなると、自然と昔の自分と向き合うようになってきた。もっと素直に写真を撮り、素直に写真を見ようと感じている。これからも、私の写真と武田誠司の写真とは対照的であり続けるであろうと思うし、そう願いたい。が、きっとどこかで一致する部分が有るのではないかと確信している。

 人間として生きること、食べること、暮らすこと、誰かと共に生きること。それらが武田誠司の写真に見られた。
 ※上写真と武田誠司とは関係ありません。


2010年08月12日
時間という前提

 我が家には二人目の子供がいる。私はその子の名前も性別すらも分からない。所沢にいた頃に生まれた子なのか、苫小牧に来てから生まれた子なのか、もし所沢で生まれた子なら所沢に置き忘れてきてしまったのかもしれない。私はそのことを本気で考えているわけではありません。所沢に住んでいたのは苫小牧に来る前だから、もし所沢で生まれた子なら過去に生まれた子であろう。もし苫小牧で生まれた子ならすでに生まれているのか、これから生まれてくるのか分からない。そして、それ意外の地で生まれた子なら多分、未来の子なのだろう。そこに、過去とか未来とかいったような「時間というものが存在する」のならである。

 私は1600分の1秒といったような数値の時間でシャッターを切り画像を記録させる。それは即日のうちにデジタル映像として見ることができ、さらにデジタル画像を出力することができる。観測者である自分自身が撮影したのであるから、撮影と映像、画像の時間的相互関係はかなり理解しやすい。しかし、そういった当たり前に思える時間の流れや、時間の前後関係、時間の存在等といった「時間という前提」を取り払った時、写真を見る時、単純に「それは過去を記録したもの」と言い切ってしまえるであろうか。問題は、時間というものをどう理解するのか。時間とはそもそも存在するのか。時間とは何なのか。その捉え方は人様々であろうが、物理学の世界では真剣に考えられていることである。

 写真を撮るとき、そのようなことを考える必要性は不要であろうが、それについて少し考えるということは、写真に限らず、様々な物の見方に変化をもたらすと思う。
 ただ言えることは、一般的には混乱するので、そのようなことを考える必要は無いということであろう。


2010年07月27日
ポラロイドの持つ生々しさ

 中3の娘は最近、エレキギターを弾いている。当初は隣家のお爺ちゃんから古いアコースティックギターを譲り受け弾いていたのだが、ギブソンのファイアーバードを手に入れてからは、本格的にエレキギターを学びだしたのだ。家族が揃う部屋でアンプを通して弾いているのを聴いていると、高級オーディオで既存の音楽CDを聴いている場合に比べて、とても聴きやすく、心が落ち着くのである。練習過程での未完成なギターでも、それは生の音であり、どんどん変化していくメロディーとリズムはそれを聴く私をその中に同化させていくように感ずるのである。

 13ordre さんからコメントを頂いた。「試供品で手渡されたポラロイドで撮影した当初、現物と写真のイメージ差に違和感を覚えたモノでした。しかしながら、デジタルでは、なかなかそういった場面に気付かされる事無く、即座に作画の体制に入ってしまう事が多くなりました。」

 それは確かだと思う。デジタル写真は写真ではない。そう言ってしまえばそれまでであろうが、今私は、デジタル、アナログいずれも写真は写真であるという前提で考えている。確かにポラロイドには生々しさがある。それは、「その場」でという生々しさと、ポラロイドという物体の持つアナログ的な生々しさがお互いを際立たせているのだと思う。しかし、デジタルにそのような可能性がないわけではないとも思う。あらためてコメントの指摘する事を大切に考えて作業をしていきたいと感じた。