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照井康文 Yasufumi Terui / Japan
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2009年05月02日
見なれたファインダー像

 最近の勇払原野での撮影ではデジタルカメラで撮影する前にまず、アナログ白黒フイルムで撮影をしている。イエローフイルターを通した見なれたファインダー像は私に十分なイメージを与えてくれるからである。結果としてデジタル写真とアナログ写真との違いを再認識させられることとなった。銀塩粒子でできた白黒のプリントは光の痕跡そのものであり、その作品作りとイメージの創出はカメラでの撮影時から始まっていた。フイルム暗室処理、プリント暗室処理といった非常に面倒な工程を消し去ったデジタルの世界は、私にとってその利便性と優位性を獲得した一方で、確かな労働という積み重ねから獲得された「最終的な作品のイメージ」の先取りの欠如とう事態に陥っているのである。

 長い冬から目覚めた原野は「枯れた黄色」一色の世界であり、そこでは時に色が邪魔者となり、逆光のコントラストは「物質の物性」を際立たせており、それらを撮影するにあたって、アナログの白黒写真に慣れ親しんだ私にとってデジタルカメラは役不足となってしまいがちなのである。とは言え、それは現段階のことでありそこに結論など無いと考えており、自分の仕事が今しばらくはデジタル優位で進んでいく事に変化ないであろう。

 今私の中ではデジタル写真を絵画のようにとらえている。上手下手を別にして絵も描いてきた私にとって、インクジェットで印刷されたデジタルプリントは絵画のようなのである。


2009年04月22日
昔の記憶と匂い

 つい先日、狭山市に住む親友から以下の内容のメールが届いた。
“写真や絵画に限らず、文学も音楽も含めて、アートというものは、作者の頭の中に抱いたイメージを具現化する作業において生まれてくる産物だとボクは思っています。
 イメージを具現化する工程における表現手法や制作技術の巧拙、自然の摂理や偶然性も加わり作品が完成するものなのではないのでしょうか。
 デジタル手法においても当然、その部分は変わらないわけです。
 作品の制作過程において、画面を通して偶然発見するものがあるでしょうし、頭のイメージとは別の作品に仕上がってしまうことだってあるでしょう。”

 この友人は、元々は私と同じ北海道の人間であるが、私が東京に暮らし始めた30年程前、時を同じくして東京に移り暮らし、10年程前より狭山市に一戸建てを持って暮らしている。そして今後彼は、北海道へ戻って来ることはないであろうし、私も東京の方へ戻ることがないであろうと思う。人生50年のうち成人してから24年間を関東で暮らした私にとって、その間の思い出と記憶が私という人間の形成に大きなウエイトをしめているのは当然のことであり、北海道に移り住んだ当初には西上州の山中や奥多摩の山、西新宿、銀座の景色がよく頭をよぎっていたものである。

 勇払原野を中心的に撮影するようになった最近、幼少期を過ごした勇払原野での匂いというか、記憶が蘇りだしているのを感じている。そして自分の撮影スタイルも昔に帰っているような感じを受けている。原野で過ごした幼少期の匂いがカメラのシャッターを下ろしていると言っても過言ではなく、そこに「イメージ」という言葉は不似合いであり、ましてや「アート」という言葉も不似合いなのである。


2009年04月10日
けら

 北海道の室蘭市に生まれた私は小学1年生までそこで暮らしていた。車で街中を走るとアゲハ蝶の大群で車が汚れ、家の外では螻蛄(けら・おけら)と遊び、家の中では蝉の幼虫を育てていた。その後、苫小牧の勇払原野に引っ越したが、そこでは海岸を大きな亀が歩き、原野を野犬が走り、空からはオオジシギが急降下し、その空を大型の鳥が飛び交い、夏ともなると1日中キリギリスが鳴き、赤トンボが群れをなしていた。
 今年も4月に入りようやく長い冬から解放され、勇払原野に撮影に入った。ここ数年勇払原野に通っているが、原野自体はまだ多く残っているものの、生態系は30年程前に比べて大きく変わり、生物が著しく減少した。ここ数年、苫小牧の街中でも変化がおこり、スズメが少なくなった一方、従来生息していなかったカササギが留鳥として普通に見られるようになった。

 わずか30年程の間に自然環境は大きく変化した。そして、写真を取り囲む環境も大きく変化をし、撮影技術、印刷技術、印刷文字技術の進歩、そして人の写真に対する認識にも大きな変化が見てとれる。人間の諸技術が進歩を遂げる一方で自然環境は悪化の一途をたどっており、良質な技術の進歩はその環境の悪化を食い止めるのに追いついていないのが現状であろう。そこには経済がからんでおり「環境に優しい」商売があって、結局のところ「生産と消費」の促進が求められているのであり、「物を大切に長く使ってはいけない」のである。国の政策によるテレビのデジタル化はその最たるものであり、通信網のさらなる増大と大きな生産と消費を生み出すであろうが、日本全国でそのためにどれほど膨大な量のテレビが再資源化されることなく廃棄されて行くのであろうか。


2009年03月09日
苫小牧西高等学校の文化発表会


※作品左上・「たりない」古澤美那 右上・「無機質と夕景」兼好夏海
 左下・「夢で出会った白馬」塩野愛 右下・「窓の奥の世界」松永優美

 北海道苫小牧西高等学校の第3回文化発表会が3月6日から8日にかけて苫小牧市文化交流センター(アイビープラザ)にて開催され、書道部、美術部、写真部の作品展示を中心に茶道部、吹奏楽部、演劇部もそれぞれの活動発表が行われた。寒く、雪に閉ざされた長い冬から苫小牧市にもようやく春が近づいた感じにさせられた爽やかな作品がそろい、私にとっては中でも美術部の絵画作品が目をひいていた。
 同期間に苫小牧市博物館の特別展示室にて「勇払原野の画家たち展」が開催され、全道展の会員や会友の作品が展示されていた。苫小牧西高の作品展にふれた後にその「勇払原野の画家たち展」の重い作品展示を見た私は「何をして絵画を描き、何を描くのか。」といった単純な思いに抱かされたのである。その問いが必要なものか否か、もしくは意味するところ、は別として、苫小牧西高美術部の自由で爽やかな作品たちはそんな問いを一笑するように思えたからである。

 苫小牧市博物館での展示は作品を特別扱いしているようであり、見る者と作品の間に距離を与えているのである。その結果、それら作品群を重苦しくさせている。自由に展示作品の写真を撮り、手を伸ばせば直接作品に触れることが出来る距離にそれら作品があり、明るく広い空間(物理的な事ではない)を与えていた東京のギャラリーや美術館に馴染んでいた私にとってそのような空間は苦痛に思えるほどであった。「何をして絵画を描き、何を描くのか。」という思いはそんな叫びであったのかもしれない。


2009年02月24日
文字と写真

  文字は言葉ではない。が、文字を読むとき頭の中では、その人の言葉となって表れている。同様に文字を使って文章を作る場合にも言葉が現われている。手書き文字、活字、映像による文字、デジタル文字などいろいろあるが、その文字を写真に撮って再現(表現)した場合のそれは、やはり文字なのだろうか。少なくとも人はそれを文字として読むことが可能であり、その時にも言葉が現われてくるのである。
 私が文字の写真を撮影する場合には、その文章を読まなくとも撮影をすることが可能であり、ほとんどの場合、断片的な文字以外は読んでいない。そして私はそれを反転してプリント(又は映像化)するが、その後もとくに、必要性がない場合にはその文章を読むことがない。しかしそれを読むことは可能であり、その時にはやはり言葉が現われるのである。

 私は日本語以外に、アルファベットを使った文字をいい加減に読むことができ、その場合にも意味不明であるが言葉が現われる。しかし自分の知らない文字はまるで記号のようであり、読むことが出来ないのであり、知識がなければ文字なのか、記号なのか、たんなる何かの痕跡なのか判断できない場合もある。その場合でもそれを撮影し、再現することは可能であり、特に問題を生じることもないだろう。しかし、もしそれを手書きで写すとなるとどうであろうか。自分の全く知らない文字を手書きで写すのは、知らない言葉を復唱するのと同様、かなりやっかいである。
 写真を撮影する場合、その被写体に関しての知識を持ち合わせていなくとも、その事が特に弊害とならない場合が多々あり、ときにはそれが事を奏す場合もあろう。


2009年02月17日
イメージの行方

  絵画や写真を見て抱く「イメージ」とは、描かれた対象、又は被写体自体に直結するものでない、もしくはその必要性のないものであり、頭の中に描写される「その姿」は人それぞれに異なっている場合が多く、それは過去に対して制約をもった自由である。
 あらゆる絵画や写真に対してイメージを抱くという事はない。美術の進化、人間の進化(進化という言葉が適切かどうかはわからない)に伴いイメージの居場所も変わっていくと思われ、最近の私は以前に比べ「イメージ」を意識する事が少なくなってきている。事、最近の自分の作品に対しては自分でイメージを抱くことがほとんどない気がするのである。

 私は25年ほど所沢を中心に居住していたが、私の原点は、幼少期の数年を過ごした北海道の勇払原野だと思っている。自然と今の私の作品はそれを根底に成り立っており、その部分に私自身がイメージを抱く必要性を感じていないのである。考えるに、デジタル写真による作品が多くなってからそれが顕著となったようである。デジタル操作ではイメージを抱くというよりも、操作、処理するといった感が強いのではないかと思う。つまりイメージは抱かれるものではなく、既に存在しており、それを処理しているという事態が起こっているのではなかろうか。
 当然のことながら、人それぞれ「イメージ」に対する考えや抱き方は異なっているであろうが、時代や環境により「イメージ」の概念自身も変化していくであろう。将来、日本においてその言葉が死語とならないとも限らないし、その言葉の意味するところが大きく変化するとも限らないであろうと思うのである。


2009年02月10日
作品の物性

 結局のところ私は現在、従来からの自分の手法で、写真をカンバスには貼り込んでアクリル画を描いている。元々写真をカンバスに張り込んだのは15年程前からであり、神田の真木画廊での展示から始まっている。量産可能な印画紙の写真としてではなく、一点ものとしての作品として独立させたかったのであり、その後は生印画紙に直接インクジェット印刷を行った後、露光を加え現像を行う作品も作った。自分の手の痕跡が直接残る作品を作りたかったのである。

 デジタル絵画やデジタル写真、ネットを利用しての作品発表など、環境に優しい行為は推奨できることであり、私自身も積極的に取り込んでいる。しかし一方で「物体として独立した存在としての作品」という魅力の大きさはやはり絶対的であろうと思うし、感じ入るところである。「アナログ写真よ、さようなら」とはまだいかない。物を創るときの面倒くささ、肉体的労力、偶然性、作り直しのきかない不便さ、等々が作品の中に入っていき、それらが物体化していくと自分は考えている。


2009年01月17日
恐ろしいデジタルアート

  レイ・シーザー Ray Caesar の作品が恐ろしく感じられる。その作品群はデジタル絵画とされているようであるが、私には写真にかなり近く見えるのである。それは作品自体についてではなく制作過程、手法にみてとれるのである。デジタルカメラで撮影された皮膚の集積がその作品の皮膚となり、デジタルカメラで撮影された布がその作品の服となっているその手法、作品の原画がパソコンのハードディスクにあるという事象、それらはデジタル写真による写真作品の制作過程と極めて類似していないだろうか。レイ・シーザーの作品は私にハンス・ベルメール Hans Bellmer の写真作品を思い起こさせたが、ハンス・ベルメールの作品はアナログ的であるのに対して、レイ・シーザーの作品群は当然のことではあるが極めてデジタル的で、デジタルなのである。

 デジタル絵画とされるもので、アートとして耐えうる作品が進出してきている。絵画を描く高い技術や知識を持ち合わせていなくとも、それは可能なことであり、それだからこそ技術や知識以外の執着性というか、何か重要なものが求められるのではなかろうか。デジタルにおいて、写真は彫刻や版画よりも絵画に近いのではなかろうかとも考えている。

 ※写真とレイ・シーザーとは関係ありません。


2009年01月12日
存在にかかわる芸術

 「美術手帖」1980年3月号の特集「美術に拠る写真、写真に拠る美術」の中で美術評論家、峯村敏明は、彫刻家、ブランクーシ自身の撮影による「空間の鳥」の写真について、「彫刻とは存在にかかわる芸術であり、写真もまたそうでありうるが、絵画は、宿命的にそうではないからである。」と書いている。それは鋭い指摘であり、正しいことであると思う。私自身以前は、写真は絵画よりも版画や彫刻に近いと考えていた。「有るか無いか」は彫られた版画の版であり、彫刻の存在自体に関わるものであり、写真の銀粒子そのものであった。

 私は自分の中でデジタル写真を写真として受け入れるようになってから、自分の写真、もしくは美術に関する考え方が変わってきた。デジタル写真は銀塩粒子ではなくデータであり、そこでは存在との関わり方が従来の認識ではまかないきれなくなってきている。存在とは決して物理的な事態に限定されなくなったのであり、存在とは「変換可能な現象」としても成り立つのではないかと思うのである。写真はオブジェを忠実に再現する事を前提に進化してきたが、デジタルデータに依存する場合には変換されたデータという事象事態に「変換可能な現象」を見てとることが出来、データ変換のやり方次第ではオブジェから大きく隔たった画像で再現することも可能ではなかろうか。
 絵画ではオブジェ自体よりも、描く人の記憶や見方、考え方等に大きく依存されていくが、そこに「変換可能な現象」を見出す事が出来ないであろうか。私自身、現時点ではそれ以上推し進めていくことが出来ないが、そこには絵を描く人自身が存在し、絵自体も存在し、絵を描く人の過去や記憶も存在するのではなかろうか。


2009年01月08日
父親

 年々、1年が早く過ぎるように感じられる。妻や娘も同様のことを言っていたから、多くの人の感じるところではなかろうか。私は昨年東京タワーと同じく50歳を迎えた。所沢から北海道に移り住んで5年になる。最近自分の年齢と将来について考えることが度々ある。あと何年、作家作業を行う事が出来るだろうか。将来の環境は大きく変化するであろうが、一番の問題は自分の身体的衰えにある。隣家に住む父親は今年80歳を迎えるが、自分をその父親に重ね合わせて見る。何とかあと30年は写真を撮り続けていくことが可能と思われ、私は20歳前から写真を撮り始めたのだから、今まで写真に費やしたと同様の時間をこれから使っていくことが出来ると思うとほっとした。

 ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎の理論「対称性の自発的破れ」は素人の我々にとって難解なのだろうが、私に学ぶことの楽しさと大切さを再認識させてくれた。私は精神医学や物理学、哲学などから多くのことを学び、それらは自分の作品に大きな影響を与えている。今、地球の将来が問題となっている。当然それは大切なことであるが、最も大切なのは自分だと思う。絵を描きたければ絵を描けば良い。「それら」と時代に即して自分を大切にしながら生きていけば良いのだと思う。