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Laszlo Moholy-Nagy (1895〜1946)
ラスツロ モホリ=ナギ(ラツロ モホリ=ナギー)
モホリ=ナギは1895年7月20日にハンガリーのボルソドに生まれた。ナギの幼少期に父親は博打の借金で姿をくらましている。ナギはブタペストの大学で法律の勉強をしていたが第一次大戦でロシア戦線に送られ、そのときに左手親指を失っている。ナギは再び大学に戻るが前衛美術にひかれ、画家となる決意をするようになり、1920年ベルリンにゆき看板かきの仕事をしながら構成主義(ロシアの芸術運動)創始の一役を担う。抽象主義と技術文明に深い興味を持ったナギは自然とカメラと引伸機を用いる作品も作るようになる。
1922年ナギはバウハウスの校長ワルター・グロピウスと出会い、翌年1923年から1928年までモダンデザインの学校「バウハウス」の教授を務め、写真やタイポグラフィ、映画、演劇等を積極的に取り入れた授業を行う。当時のバウハウスではカンディスキーやクレーも教授を務めていたが、壮年期の彼らに対して20代のナギがバウハウスに与えた影響は計り知れないものがあった。ナチスの台頭により1933年強制的にバウハウスを解散された後ナギは、イギリス経由でアメリカに亡命し、1937年にシカゴデザイン研究所の所長となりニューバウハウスを設立する。
ナギは豊な芸術作品と著書を残し、ヴィジュアルアートの歴史を生きた。ナギの写真としての仕事は知的で、あらゆる写真的なことに関心を抱き、フォトモンタージュやフォトグラム、ソラリゼーションなど様々な手法が用いられた。それは一見、マン・レイに似た仕事であるがナギとレイはそれぞれ別に仕事をしていた。
ナギは1946年11月24日シカゴにて没。
※参考文献・「ザ ニュー ヴィジョン」L・モホリ=ナギ著 ダヴィット社 及び、ライフ写真講座
左・「世の中の仕組み」1925 右・「ラジオ塔より」1928
※写真は2点ともライフ写真講座「プリント」
タイムライフブックス編集部・編集
タイムライフブックス・発行より
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