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Man Ray(1890〜1976)
マン・レイ
画家でダダイストの第一人者であるマン・レイは1890年8月27日フィラデルフィアに生まれ、本名をエマニュエル・ルドニッキー(Emmanuel Radnitzsky)という。移民労働者の子として生まれたレイの家は貧しかったが、レイは幼少期から絵の才能に優れ、教師の手助けにより奨学金を受けコロンビア大学の建築家に入るよう薦められたがそれを断り、商業美術家として働きながら絵の勉強をしていた。この頃に自らをマン・レイと名乗ったようである。アルフレッド・スティーグリッツの経営するギャラリー「291」へ度々訪れていたレイは1915年、そこでマルセル・デュシャンと知り合い、二人は後にニューヨーク・ダダの運動を起こすようになる。
レイが初めてカメラを手にしたのは1916年で、自分の絵のカタログ用の写真を撮影するためであった。画家であったレイは1920年代にパリで暮らし、生活の為、他の画家の作品を撮影し始める。やがてピカソやアーネスト・ヘミングウエイ等のポートレートを撮影するようになり、レイは写真家として名声を高めていくようになる。レイはやがてダダイズムやシュールリアリズムの考え方を写真に導入し、カメラを使わず印画紙上に直接物体を置き、焼き付ける手法(レイ自身、レイヨグラムと名づけるが古くはフォックス・タルボットが使用していた)やソラリゼーション(正しくはサバチエ効果でサバチエ氏が発明)による手法、印画紙を歪めて焼き付ける等、様々な試みで作品を作り上げていった。
レイは大人になってからのほとんどをパリで過ごし、1976年11月18日、自分のスタジオで睡眠中に亡くなった。
※参考文献・ライフ写真講座
左 ・「ヴィオロン・ダングル」1924 右・「ソラリゼーション」1929
※左写真はライフ写真講座「プリント」・右写真はライフ写真講座「ライフ写真年鑑1977」
タイムライフブックス編集部・編集
タイムライフブックス・発行より
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