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1988 神田・田村画廊
照井康文個展「SIGHT」 Gallery Tamura

 眼に紙テープを貼った女性のプリントが衝撃的なまでに痛々しい。それと同じものが向かい合せの形で床にも貼られている。石ころだらけの地面に横たわった彼女もやはりテープで眼かくししているが、逆さまのプリントで見るそれは土中にうずくまる昆虫の蛹のようだ。さらに、郊外の風景の中に立つ作者、妻(モデルの女性は全てこの人である)、小さな娘の眼にまでテープが貼られる。何枚か眼をつむった妻の表情はおだやかだが、別の列ではその顔に少しずつテープを貼り、全面を覆うまでのプロセスが見せられる。のみならず、これら全てのプリントをテープで壁や床に貼りつけるという執拗さである。
 作者の照井氏は、今はなき『カメラ毎日』の「アルバム」欄を中心に作品を発表していた人と聞く。これまでの作品は眼だけが別に動いていく女性の横顔であったり、女性の影に同化するように横たわる男の姿だったり、あるいはまた店の看板を撮った多数のプリントをモザイク状の一枚にしたものや、数枚のプリントをミシンで縫い合わせたものなどがある。後者は現実の再構成を目ざしたものといえるが、前者の傾向は違う。彼の写真に登場するのは常に自分の奥さんであり、したがって横たわる男が作者自身であることはいうまでもない。すでにそこには妻の眼へのこだわり、妻との関係にこだわるという今回の作品の原型が示されている。
 しかし紙テープの眼隠しには、作者のいう単に眼をつむることの象徴以上の意味が込められているはずである。一般にポートレイトでは撮られる者はカメラを見つめているし、撮る者もできた写真を見る者も、その視線に自分の視線を交叉させなければ写真の作製と消費のサイクルは成り立たない。視線をシャットアウトした作品が私たちを不安にするのは、そういう写真の本源的な構造を封印しているためだ。関係もまた見る−見られる行為を前提とする。視線を断つことは関係を封印しようとする自己処罰の意志にも等しい。前回の個展の際、奥さんが精神的に異常をきたしたというのもうなずける話である。
 おそらく照井氏は禍々しい写真の力にひと一倍敏感なのであろう。だがその敏感さが内部へ向かうときの身を刻むような試みは、もうこのくらいで十分ではないか。 フォトコンテスト8月号・伊藤国彦