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照井康文

世界の写真家達
William Eugene Smith (1918〜1978)
ウイリアム・ユージン・スミス
 フォト・ジャーナリストとして生涯を駆け抜けた写真家W・ユージン・スミスは1918年12月30日カンザス州ウィチタに生まれる。彼の幼少期、スミスの父親は事業の失敗により自殺している。スミスは高校在学中から地元の新聞に写真を発表し、その後ノートルダム大学に数か月在籍していたが「ニューズウイーク」誌のカメラマンとなり、続いて「ライフ」誌のカメラマンとなる。第2次大戦中にはカメラマンとして太平洋侵攻作戦に13回、空母戦闘作戦に23回参加する。1945年沖縄戦で取材中に重傷を負ったスミスはカメラマンとしての仕事を2年間休業する。その後復帰したスミスは優れたフォト・エッセイを作り出すが、納得のいく仕事しか受け入れられなかった彼はLIFEを辞め1955年に写真家集団「Magnum Photo」に加わる。その後スミスはNEA(国家芸術基金)、CAPS(NY州クリエイティブ・アーティスツ・パブリック・サービス)からの奨学金のほか、グッゲンハイム奨学金を3回授与されることとなる。
 1970年スミスは日系アメリカ人のアイリーン・美緒子・スミス(2008年現在・脱原発のNPO・グリーン・アクションの代表)と結婚し、二人は1971年に来日、3年間水俣市に暮らしながら最後の傑作となる水俣病の問題を取材し、1972年には暴力団の暴行によりスミスは片目失明の負傷を追う。1975年、二人の連名による写真集「MINAMATA」がアメリカで出版されると共に、スミスはロバート・キャパ賞の金メダルを受賞している。
 1977年末、スミスは脳卒中で一度倒れ、1978年10月15日死去。アリゾナ州ツーソンのスーパーで転び、頭を打ったことが死因となった。享年59歳。

 

左・「水葬」1944 右・「水俣・トモコとお母さん」1972
※写真は2点ともライフ写真講座「ライフ写真年鑑1979」
タイムライフブックス編集部・編集 タイムライフブックス・発行より