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Dorothea Lange (1895〜1965)
ドロシア・ラング(ドロシア・ランゲ)
ドロシア・ランゲは1895年5月25日ニュージャージー州ホボケン生まれの女性写真家。ランゲは7歳の時にポリオを発症し、右足が不自由となる。その障害は彼女の人生に対する考え方、そして彼女自身の写真に大きな意味をもったと思われる。ニューヨークで写真を学んだランゲは1918年にサンフランシスコへ移り、写真館を開業し成功している。その後1930年代初期、アメリカ史上最大の不況がやってくるとランゲは屋外に出て苦境にあえぐ人々を撮影するようになり、結果、彼女は写真家としての名声を上げるのである。
1935年、大統領フランクリン・D・ローズヴェルは不況に対処すべき移民局(後に農業安定局・FSAと改名)を設置し、その責任者としてコロンビア大学の経済学者レックスフォード・ガイ・タグウェルを選んだ。タグウェルはその仕事を成し遂げるため、同僚の経済学者ロイ・ストライカーに手伝ってもらった。ストライカーは社会を説得させるための手段として写真を用いることを考え、ウォーカー・エヴァンス、ドロシア・ランゲ、ベン・シャーン、等の写真家を集めた。農業安定局の写真家となったランゲは1935年から39年までその仕事に就いた。1941年にランゲは写真家としてグッゲンハイム奨学金を受けるが、日系アメリカ人の強制収容の現状を撮影するためそれを辞退している。1952年には写真雑誌「Aperture」の創刊者の一人として彼女は加わっている。ランゲは1965年10月11日にこの世を去った。
※参考文献・ライフ写真講座
左・「西へ向かう車」1936 右・「西へ、西へテキサスへ」1937
※写真は2点ともライフ写真講座「フォトジャーナリズム」
タイムライフブックス編集部・編集 タイムライフブックス・発行より
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