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照井康文

世界の写真家達
Edward Henry Weston (1886〜1958)
エドワード・ウェストン
 1886年3月24日、イリノイ州ハイランド・パークの中流家庭で生まれたウェストンは、16歳の誕生日にコダック社のブルズ・アイ2型カメラを与えられ、すぐに写真に熱中し始め、その才能を発揮する。20歳になったウェストンは南部カリフォルニアのトロピコ(現在のグレンデール)に姉を訪ね、肖像写真家としてプロになった。その後ウェストンは1908年にイリノイ写真大学で半年間、写真の教育を受けるが再びトロピコに戻り1909年、フローラ・M・チャンドラーと結婚し、自分のスタジオを開くことになる。ウェストンの妻チャンドラーの実家は大金持ちで、ウェストンの初期の写真制作はそれに追う部分が大きかったようである。ウェストンは写真家として成功していたが営業写真に不満を抱き始め、様々な習作を撮り始めることとなる。
 1920年代初め頃、ウェストンは女優のティナ・モドッティと出会い、1923年にグレンデールの自分のスタジオを閉めてウェストンの長男と共に二人でメキシコへ旅たつこととなる。ウェストンはメキシコシティーのホアレス地区に写真館を開いたが、その時点でも妻のチャンドラーから援助を受けていたようである。この頃からウェストンは8×10のカメラを使用するようになった。1926年ウェストンは不仲となったティナ・モドッティをメキシコに残し様々な地方を移動しながら写真を撮影している。1929年からの20年間にかけてウェストンはカリフォルニア州のポイント・ロボスを8×10で集中的に撮影している。1932年にはアンセル・アダムスイモジン・カニンガムらと共に「グループf/64」を結成。
 1937年ウェストンは写真家として初めてジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団から2000ドルの奨学金を受け、これをきっかけに営業写真をやめ、1年間カリフォルニアと西部を中心に自分の求めるテーマで撮影をおこなう。1938年にウェストンは30歳ほど年下のチャリス・ウイルソンと結婚するが1946年に破局。再び孤独となったウェストンは1947年に自分がパーキンソン病であることを知り、芸術的衰えを自覚しながら再びポイント・ロボスへ向かい、晩年の傑作を作り上げていくのである。ウェストンは1958年1月1日パーキンソン病がもとで死去。
 ※参考文献・ライフ写真講座

 

 左・「オウム貝」1927 右・「ポイント・ロボス岬」1946
※写真はライフ写真講座「ライフ写真年鑑1976」
タイムライフブックス編集部・編集
タイムライフブックス・発行より